阪神の赤星が引退2009年12月10日
「レッドスター」の愛称で親しまれた阪神の赤星憲広が現役を引退することがわかりました。
2004年に社会貢献が評価され「ゴールデンスピリット賞」を受賞したスピードスターが、志半ばでユニホームを脱ぎます。
赤星は大府高から亜細亜大、JR東日本を経て2001年に阪神入りし、1年目から俊足を武器に頭角を現し新人王を獲得、ルーキーから5年連続でセ・リーグ盗塁王。
セ・リーグ記録となっている5年連続の盗塁王に加え、ベストナインを2度、ゴールデングラブ賞を6度獲得し、オールスターに3度出場するなど阪神の「斬り込み隊長」として2003年、2005年のリーグ優勝に大きく貢献。
しかし、近年では頚椎のヘルニアなどの故障に悩み、今年9月12日の横浜戦でダイビングキャッチを試みた際に首の状態を悪化、その場で動くことができず、以後復帰することはありませんでした。
今季は91試合のみの出場で打率.263、0本塁打8打点31盗塁、プロ通算9年で4964打数1276安打、381盗塁は球団記録です。
赤星憲広
「今でも実感がわかない。この1か月は本当に今まで人生を過ごしてきた中で一番苦しかった。
言葉にならない。両親に話をした時に体のことを第一に考えてくれた。
両親からはここまでよく頑張ってきたじゃないか、もういいでしょうと言われた。それも一つの決め手となった。
よかったことでは2003年の優勝した時にサヨナラ安打を打ったのを覚えている。僕の中で一番覚えているのは、05年の日本シリーズで4連敗したこと。
あの悔しさがあるからこそ、日本一になりたいという気持ちがすごく強かった。それが果たせずにやめるのは悔いが大きい。
正直、タイガースは僕が入るまではそういうチームではなかった。僕が阪神に入って、盗塁や走塁で、いい意味で改革できたんじゃないかと思う
(甲子園での最後の式典は)この場所でやりたいと無理をお願いした。(引退会見では)3回ぐらい(涙が)出そうになった。
泣いたら、いろんなことを後悔しそう。日本全国の病院に行ったけど『現役を続けるのはかなり危険。今度再発してしまったら、最悪、命の危険もある』と言われた。
危険なプレーはしないようにすればいいとも思った。だけど、ボクは(体が小さいので)100%の力を出さないと勝てない。
セーブして、恐怖心をもってできるのかと考えると、プロとして身を引くべきと思った。(ダイビングキャッチは医師から禁止されていたが)後悔はしていない。
野球人の本能。ビビって跳ばなかったら、逆に後悔している。
捕れなかった、捕りたかった、という思いの方が強い。(将来は指導者か)でも、今の体のままでは、そういう話も受けられないから。
完全燃焼はできていない。このけがさえなければ…。
まだ、現実を受け止められない」
金本知憲
「今後の野球人生よりも人生そのものの方が大事だとは思うので、赤星の選択は間違いでないと思います」
矢野燿大
「個人の意見。簡単なことではないと分かっているけど、戻ってきてほしかったというファンの心理と同じ心境」
岡田監督
「盗塁の数だけ車いすを贈っていたやろ。無理したら自分が車いすに乗ることになると、医者に言われたことがあるらしいよ」
野村克也
「まだ早い。おれがいい医者を紹介してやる。
“野村さんに言われたから復帰します”って、引退なんていくらでも撤回できるやろ。“お前はおれに足を向けて寝られないぞ”といつも話してきたけど、あいつが“自分があるのは野村さんのおかげ”と言ってくれて指導者冥利に尽きるよ。
禍を転じて福となすという言葉もある。人を生かす、人を生む、そうした仕事に励んでほしい」
2004年に社会貢献が評価され「ゴールデンスピリット賞」を受賞したスピードスターが、志半ばでユニホームを脱ぎます。
赤星は大府高から亜細亜大、JR東日本を経て2001年に阪神入りし、1年目から俊足を武器に頭角を現し新人王を獲得、ルーキーから5年連続でセ・リーグ盗塁王。
セ・リーグ記録となっている5年連続の盗塁王に加え、ベストナインを2度、ゴールデングラブ賞を6度獲得し、オールスターに3度出場するなど阪神の「斬り込み隊長」として2003年、2005年のリーグ優勝に大きく貢献。
しかし、近年では頚椎のヘルニアなどの故障に悩み、今年9月12日の横浜戦でダイビングキャッチを試みた際に首の状態を悪化、その場で動くことができず、以後復帰することはありませんでした。
今季は91試合のみの出場で打率.263、0本塁打8打点31盗塁、プロ通算9年で4964打数1276安打、381盗塁は球団記録です。
赤星憲広
「今でも実感がわかない。この1か月は本当に今まで人生を過ごしてきた中で一番苦しかった。
言葉にならない。両親に話をした時に体のことを第一に考えてくれた。
両親からはここまでよく頑張ってきたじゃないか、もういいでしょうと言われた。それも一つの決め手となった。
よかったことでは2003年の優勝した時にサヨナラ安打を打ったのを覚えている。僕の中で一番覚えているのは、05年の日本シリーズで4連敗したこと。
あの悔しさがあるからこそ、日本一になりたいという気持ちがすごく強かった。それが果たせずにやめるのは悔いが大きい。
正直、タイガースは僕が入るまではそういうチームではなかった。僕が阪神に入って、盗塁や走塁で、いい意味で改革できたんじゃないかと思う
(甲子園での最後の式典は)この場所でやりたいと無理をお願いした。(引退会見では)3回ぐらい(涙が)出そうになった。
泣いたら、いろんなことを後悔しそう。日本全国の病院に行ったけど『現役を続けるのはかなり危険。今度再発してしまったら、最悪、命の危険もある』と言われた。
危険なプレーはしないようにすればいいとも思った。だけど、ボクは(体が小さいので)100%の力を出さないと勝てない。
セーブして、恐怖心をもってできるのかと考えると、プロとして身を引くべきと思った。(ダイビングキャッチは医師から禁止されていたが)後悔はしていない。
野球人の本能。ビビって跳ばなかったら、逆に後悔している。
捕れなかった、捕りたかった、という思いの方が強い。(将来は指導者か)でも、今の体のままでは、そういう話も受けられないから。
完全燃焼はできていない。このけがさえなければ…。
まだ、現実を受け止められない」
金本知憲
「今後の野球人生よりも人生そのものの方が大事だとは思うので、赤星の選択は間違いでないと思います」
矢野燿大
「個人の意見。簡単なことではないと分かっているけど、戻ってきてほしかったというファンの心理と同じ心境」
岡田監督
「盗塁の数だけ車いすを贈っていたやろ。無理したら自分が車いすに乗ることになると、医者に言われたことがあるらしいよ」
野村克也
「まだ早い。おれがいい医者を紹介してやる。
“野村さんに言われたから復帰します”って、引退なんていくらでも撤回できるやろ。“お前はおれに足を向けて寝られないぞ”といつも話してきたけど、あいつが“自分があるのは野村さんのおかげ”と言ってくれて指導者冥利に尽きるよ。
禍を転じて福となすという言葉もある。人を生かす、人を生む、そうした仕事に励んでほしい」

コメント